2014年07月25日

防犯と監視の狭間で(下)


ご機嫌いかがでしょうか?
乙女座です。
男子です。
編集補佐(ブログ企画ユニットリーダー)です。

暑いですね。
いつかの余談コーナーでもお話しした遮光カーテン、大変重宝しております。
光を完全に遮断してくれています。光が入らないだけで、だいぶ楽です。でも暑いです。
最近ひと月くらい夏バテに苦しんでいて、どんなに栄養のあるものを食べても治らないので、思い切って我慢していたクーラーをつけたら元気になりました。


さて、今回は昨日に引き続き「防犯カメラ」についてです。
本日は僕が「寄稿」というかたちで投稿いたします。
※あくまで個人の意見です。

近年では、町中のいたるところでみられるもので、設置されている大学も少なくはありません。
果たして、この防犯カメラ、われわれの生活にどのような影響を与えるのでしょうか?
まず学内の何人かの思いや願いを聞かせてもらった。

大学に設置される防犯カメラについて、学生からは、
「誰に見られているかわからないから恐い。」
「映像が何に使われるのかわからないから信用できない。」
という意見をもらった。
確かに、とられた映像を「誰が見るのか」も重要である。

防犯カメラに否定的な意見がある一方で、
「犯罪が少なくなるのなら、あった方が良い。いつでも安心して過ごせる環境になればいい。」という意見もあった。

誰も犯罪を望む人はいなかった。むしろ、安らぎを求めている。その一環としての「防犯カメラ」という意識であろう。

僕は、防犯カメラなどの監視によって、「見られているから・・・」という理由で罪を犯す人が少なくなるのではないかという期待の下であると思われる。
確かにこれは「犯罪を抑制する」ためには非常に合理的な手段であるといえる。
しかしそれは同時に、個々人の「善悪の判断意識」はどうなるのか?

「罪を犯してはいけないのだ」という個人の意識の有無については、まったく問題としていないように思える。
これは例えると「窃盗が悪いとは思わない」人が大半の社会でも、厳格な監視や、処罰の導入によって、どんな人格を持とうと、「監視」「処罰」というシステムへの恐怖から、窃盗が少なくなる。という社会に向かっているのではないか、と僕は考える。

「監視」というシステムへ対しての意識によって、人々が犯罪に至らないための動機が、「悪であるから」という意識から「恐怖」という意識へと移り変わっていると感じる。

みなさんはどう感じますか?
意見、感想は下記に!!
otanidaigakushinbunsya☆gmail.com(☆をアットマークに変えて下さい)

本日の余談コーナーはありません。
posted by 大谷大学新聞社 at 20:01| Comment(0) | 新聞社コラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: